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我々は自己矛盾しなければ、自分のことが分からないのか 胴上げします。負の歴史と考えられることの多い共産主義
情・記憶を召喚することを試みます。また、後継政党議員
及び革命経験の有無にかかわらないあらゆる世代の人々
に参加要請の交渉を行うこと、参加者を対象に綿密な取材
を行うことを通して、歴史的事実の内部へ足を踏み入れま
す。参加者の言葉や表情、しぐさを映像や資料としてまと
め、パフォーマンスとともに展示することで、個人感情が
幾重にも重なり合あったルーマニアの歴史を見つめ直し、
現代の資本主義への逆説的な問いを浮かび上がらせます。
どまるものではありません。ここから、我々日本の歴史を
プロジェクト内容 考えてみることもできるでしょう。私たち日本人は過去の
歴史の中で、社会主義の経験も市民革命の経験ももちませ れ旧共産党が議席を獲得した。しかし、ルーマニアでは革
んでしたが、このような出来事は世界のあらゆる国や地域 命後に共産党が消滅し非合法化された(後に撤回)。ルー
で幾度も繰り返されてきただけでなく、今現在も続いてい マニア共産党関係者は、救国戦線に参加して政治生命を保
ます。世界の実社会にはこのような政治闘争の歴史が生み った。地下に潜伏中ではあるが、ルーマニア社会主義労働
出した惨劇と人々の記憶が確かに残っているのです。私は 者党を名乗る勢力がチャウシェスク体制の復活を目指し
アーティストとして社会主義をアピールするのではあり ている。
ません。目に見えない今日の社会的な状況と過去の歴史を 1999 年 12 月、革命 10 周年に当たって行なわれた世論
会を捉え直し、また人類の生の営みを勇気づけようとして スク政権下の方が現在よりも生活が楽だった」と答え、同
います。 国政府を驚かせた。市場経済の停滞と失業者の増加により
生活が悪化し、国民の不満が高まる中で各地の工場や炭坑
社会介入行為とは ではストライキが頻発。その参加者の中には、チャウシェ
このプロジェクトは「行為」よって社会との新たな接点を スクの肖像写真とともに「チャウシェスク、私たちはあな
作り出す現代芸術作品です。特定の共同体や社会との関わ たが恋しい」といったプラカードを掲げる人も少なくない
りのなかに、ユーモアに満ちた、ときに無意味で不条理な という。惨殺されるほど嫌われ恐れられた独裁者が、少な
アイデアを持ち込むことによって、私たちの暮らす現実世 くとも最低限度の生活を保障していたことで死後改めて
界に対する新たな視点を獲得していきます。社会の関係性 評価されるという皮肉な展開となった。
の編み目に介入し、市民などから様々な反応を得ることで しかし一方でやはり共産・社会主義体制は過去の物と言う
成立する芸術です。 観点もあり、「我々はとりあえず自由を手に入れた。次は
幸福を手にする番だ」というスローガンも見受けられるな
胴上げ ど評価は定まっていないのが実情である。また、いまだに
偉業を達成した者、祝福すべきことがあった者を祝うため 政府中枢には現在も旧共産党系の人物が残り、1000 人も
に、複数の人間の手で当事者を数度空中に放り投げる行為。 の犠牲者を出した革命時の加害者の追及の不徹底など、国
胴上げは主に日本の伝統的風習と考えられることが多い 民の間では、まだ革命は終わっていないとの声も多く、旧
が、近年欧州のサッカーチームが行うこともある。また 東欧諸国の中でユーゴスラビアと並び、「革命の後遺症」
ランスのパリで胴上げされた記録も残っている。
プロジェクト概要
が行われた。きっかけは大統領のニコラエ・チャウシェス ∼2011 年 2 月 13 日)
ら、国軍がチャウシェスクに反旗を翻して民主化勢力を援 主催:丹羽良徳
護し、治安部隊との武力衝突に陥った。革命勢力は 1 週間 助成:朝日新聞文化財団(申請中)
http://www.bucharestbiennale.org/
プロジェクトチーム
テクニカルアシスタント:阪中隆文、中堀徹 プロジェクト支援者募集
広報協力:根上陽子
デザイン協力:ゴロゥ このプロジェクトは一部自己負担金にて実施しておりま
す。そのためルーマニアでのプロジェクトを円滑に進める
制作スケジュール(予定) ため、以下のとおり支援者を募集しています。※プロジェ
2010 年 11 月 30 日 出国 クト詳細は、本紙及びウェブサイトをご覧いただき、ご興
2010 年 12 月 1 日-12 月 8 日 現地リサーチと現地スタ 味いただければ、是非プロジェクトへ支援をお願いいたし
ッフとの打ち合わせ ます。
を発行。幅広く横断的な内容のエッセイを中心にインタビ ■特典:
ュー、アーティストのプロジェクトを特集し、刺激的な現 支援頂いた方にはクレジットにお名前を記載の上、プロジ
代文化そして社会的政治的マガジンとして活動している。 ェクト実施後、活動報告書をお送りいたします。
単に現在起こっている現象を記述するだけでなく社会、政 また、帰国後の報告会へのご招待、今後のプロジェクトに
治、文化に介入したエッセイなども。毎号において近年重 ついての最新情報等をご案内します。
要であるテーマを取り上げながら、実績のあるものと若手 ※ご支援金の内訳についても、実施後、責任をもってご報
の新進気鋭のアーティスト、ライター、評論家などを同じ 告させていただきます。
ように掲載。また、パビリンは芸術雑誌の出版業務と同時 ■申込方法:
に、ルーマニアにおける唯一の国際ビエンナーレであるブ メール・電話にて支援ご希望の旨をお伝えいただき、以下
カ レ ス ト ビ エ ン ナ ー レ を 主 催 。 ま た 2009 年 よ り 問い合わせ先まで氏名・連絡先・支援金額をご連絡くださ
Unicredit 銀行の 協力 を 得て、 新た にア ート セン ター い。担当者よりご支援内容について確認させていただきま
代美術の研究および普及に尽力する。近年は東欧だけでな ■問い合わせ先:
く、アメリカや西ヨーロッパのアートセンターとの協力事 e-mail:niwa.romania@gmail.com
丹羽良徳 にわよしのり
コミュニティーベースのプロジェクトや、社会への介入を
試みるパフォーマンスを発表。主な作品に鳥インフルエン
ザが流行した時期に鶏にイラク戦争や身の回り様々な質
問をしにいく「ヤンキー養鶏場」、東ベルリンの水たまり
を西ベルリンの水たまりに移しかえる「水たまり A を水た
まり B に移しかえる」など。主な個展に 2010 年「複合回
路 vol.3 アクティヴィズムの詩学」ギャラリーαM、「解
Programme(オックスフォード、イギリス)、2010 年、
http://www.niwa-staff.org/
ヘルシンキにて, 2010 年
泥棒と文通する
パフォーマンス, 2010
ヘルシンキの複数の銀行ビルの壁に 営業時間終了後の夜間だけ
「泥棒のみなさま、今が盗みに入る時です」というメッセージを
大型ライトプロジェクターで投影する。反社会的人物である泥棒
とコミュニケーション取ろうと試みることで、存在するであろう
社会の中の見えない他者との交信を想像させつつ、そのサインを
見た人々は権威や資本主義社会の抵抗行為としてのあらゆるレ
ベルの想像上の銀行強盗や盗みを想像させる。
programme, Helsinki
Supported by HIAP
熊が熊に会いに動物園に行く
パフォーマンス, 2010
熊の着ぐるみを着たまま四足歩行で、上野動物園の熊に会いにい
く。明らかに着ぐるみだと分かるのだが、途中で会う人々はその
行為を応援するかのように振る舞ってくれる。理解不能な目的を
持った行為を動物というファクターを通して実演してみせる事
で、現実の人間社会ではあり得ない他者との反応を獲得する。そ
の反応から私達を取り巻く身近な人間関係の在り方を問い直す。
結婚を決意できない友人の為に深夜 2 時街灯の下で結婚式
をする
ラムダプリント, 2009
長年お付き合いをしていた友人が結婚に踏み切れずにいる時に、
ぼくがウェディングドレスとタキシードを着せて写真を撮って
あげるよということから始まった企画。ぼくにはもう彼らにかけ
る言葉が見当たらないという状況であったために、すくなからず
彼らとどのように関わっていけるかと問いただす作品となった。
実際この作品が完成した後で婚約されたそうです。.
自宅のゴミをサンフランシスコのゴミ捨て場に捨てにいく
パフォーマンス, 2006
日本のゴミをアメリカへ。僕の東京の自宅のゴミを飛行機に乗っ
てそのまま、サンフランシスコのゴミ処理場まで持ち込んで処理
してもらう。地域的な問題を携えたまま国境を飛び越えることで
感じられる違和感を用いながら、政治的や社会システム的な類似
点の多い日本とアメリカ間でゴミの交換をすることによって、私
達が日々作り出しているゴミがどこから生まれて来てどこへ行
くのか、という問いだてをする。
多摩美術大学をぴかぴかぴかにする
パフォーマンス, 2008
およそ 30 分間にわたり多摩美術大学校舎内のすべての電灯を 5
もとで実現した。教室・研究室・廊下・街路灯・野外時計などほ
ぼ全域の明りを一時的に点滅させ。大勢のボランティアスタッフ
えのない生の悦びに変換する試み。最終的には、5 秒単位を無視
したオリジナリティー溢れる学生の教室点滅が見られた。他者
との共有や共同幻想といったことをテーマに実施されたプロジ
ェクト。
パフォーマンス, 2004
かつて存在したベルリンの壁があった場所で水たまりを別の水
たまりへと口移しで雨水を移しかえる。日本人である私が冷戦や
ベルリンの壁にいかに関わり合いができるのかと問うた時に、ぼ
くにはもうこれ以上のことができないのではないかと、東ベルリ
ンの水たまりを口移しで移動させた。越えることのできない障壁
に対するささいな反抗とその行為によって浮かび上がるベルリ
ンの壁という歴史的記憶に向かう。絶えず衝突をしてきた東西冷
戦の問題に対して、日本人としてどのように関わるのかと切実に
問う。